2020.12 いまのきもち

いやべつに大したことを書くわけではない。

 

今日は多分(多分)画像を貼ることもない、ただの日記のようなものになるとおもう。

カレーの記事のような失敗談もなければ、大野智のここが好き!を声高に叫ぶ類のものでもない。

 

今の、わたしの感情を書き留めておこう(しかも飽きたら途中でやめるつもりでいる)、というものなので、なにか期待させていたとしたら即このブログを閉じて欲しい。

 

 

 

智の誕生日というかその前後からの怒涛の日々。

振り返る暇なんてまったくなくて、なのに受け取るものが多すぎて、いいも悪いも(悪いとかはないんだけど)よく分からず、せっかく彼らが用意してくれた時間が、ただ流れていってしまうみたいで、わたしは少し拗ねていたように思う。

 

記念館とか、各レギュラーの特番で振り返られる過去たちは懐かしくもあり、さみしくもある。

 

わたしファン歴が長いように言っているけど、その歴史は常にガッツリじっくりなわけではなくて、就職とか、恋愛とか、その他もろもろ、人生のメインである部分が忙しいと追いかけるのがおざなりになってしまっていた頃もあるし、関東住みでなくかつ遠征もしてこなかったので、ただ茶の間歴が長いだけの話で、見られなかった舞台や番組はそれこそ山ほどある。

 

ただ、好きになってから、わたしの人生に彼らが寄り添っていてくれたことだけは間違いない。

 

おざなりになろうと、居なくなることはなかった。

 

 

そんな事をぼんやり思っていて、何度も考えた嵐の、大野くん(あえての大野くん呼び)のこれからの人生を、今思わずにはいられない。

 

この気持ちは大野智記念館を見る前にあえて書いてみたかった。

綺麗事かもしれないけれど。

自然に今思えていること。

 

彼らは10代半ばからこの仕事をしている。

当時の先輩たちの状況(アイドルとしての寿命ってやつ)を考えてもこれで一生やっていこうと思ったかどうかは分からない。(思ってなかっただろうよ)

 

バラバラな感情で集まった子達が与えられた環境で、少しずつグループとしてまとまり、共に上を目指した。

 

アイドルは職業だと思う。

そしてひとが求めるアイドル像とは、未完成なもの、なんじゃないだろうか。

 

製品として完成された、どこを食べても美味しい高級菓子ではなく、どこか荒削りでちょっと苦くて、だからこそ伸びしろのある甘さで誤魔化したような駄菓子?(上手いこと言えてる気はしない)

 

昔の嵐って、わたしはそんなイメージだった。

だから愛おしい。

だから応援したい。

 

オチが弱いな〜、とか。

グズグズだな〜、とか。

ハモが微妙〜、とか。

揃ってないな〜、とか。

 

 

それはほんとに未完成な彼らががむしゃらにしていたことが自ずとくすぐってくれたところ。

 

今の彼らを見ていると、熟した感じがする。

個々の人間としても。

だってもう40歳に手が届く。(大野さんお誕生日おめでとうございます、改めて。)

 

パフォーマンスだって、毎年研ぎ澄まされてる。

それなのにまだ新しいことに挑戦してくれているのには感謝しかないけれど、

 

フリスタの作品集で語られていた、その先が見えないという智の言葉をなぞるのであれば。

嵐はアイドルとしては完成したのかな、って思った。

 

誤解をして欲しくないのは、では嵐が自分に需要がないとかそういうことを言ってる訳じゃない。

 

今の嵐がむちゃくちゃ好き。

好きに決まってんじゃん。

これからもずっと見ていたいよ。

 

だけど彼らは別のステージへ行こうとしているのかもしれないと改めて思ったの。

 

そしてそう思う自分をさみしく感じる。

だからすっごいいま不安定笑。

やばいのほんと。

 

 

でもさ、

休止はよかった、

わたしいまそう思ってる。

 

いちど嵐をたたみ、それぞれの道を…

という衝撃的な大野くんの言葉が、今妙に納得出来てしまってる。

 

彼らの人生、半分以上アイドルだもん。

アイドルは私生活まで自由じゃない。

 

ほかのアーティストと違って、自分たちのやりたいことだけをできるわけじゃない(ほかのアーティストさんも諸事情ある筈だけど)

 

智担だから言えるんだろって思われそうだけど(ごめんね)(でもさ智担だってアレじゃん)、例えば結婚とか、ね。

 

もうそういうのからは解放させてあげたい。(リア恋みたいなとこあるからそうなったらものすごく泣くとは思うけど、彼の選ぶものを否定したくない)それは今回のフリスタを見に行けたことで更に思ったし、配信されたデート(10回以上みた)でも思った。

 

本来仕事ではない彼の趣味すらわたしたちに届けてくれたこと。

描く意欲を削がれてもなお、素晴らしいものを創ってくれたこと。

 

それは今のキワをつとめる彼の仕事ぶりも、もしかしたらね、そうなのかもしれないでしょ。

 

 

そうであるなら尚更、わたしたちファンはここまで愛されてる。

 

アイドルは職業と言ったけど、仕事と割り切って心の中で客に悪態ついてる人のところで、身銭を切ってまでものは買わないのだ。(極論だけど)

 

 

降りる人を目にする。

アンリーも目にする。

だけど突き詰めれば全て自分の都合だ。

 

人は欲しいものに手を伸ばして

求めと違うと感じたら不満に思う。

悪いことじゃない。

(ただ、わたしはアンリーじゃねえぞ!よく誤解されるけどなんでなんだ)

 

彼らは、ひとりひとりで

それぞれが人間で

ひとになにかを与える仕事ではあるのだけど

万人に受け入れられる絶対的な神ではない。

 

そういう意味でも、わたしの好きなもう一人のひとの行動は、推しの決断と並べる訳じゃないけれど、わたしは否定したいと思わない。

 

あとはこっちのコンディション。

受け取る側がどう受け取るか。

 

苦い気持ちを抱えながらも離れたくない。

どんな形でもまた彼らが並ぶ姿がみたい。

 

それもこれも、わたしの勝手な願望。

 

それは、智が描くものと反することなのか、いまはわからない。

 

わたしはアイドルである大野智しか多分知らない。

個展を見てもなお、そのフィルタなしで彼を見れるのかわかんないもん。

 

どんなに自然体に見えても、サービス精神が備わってるし、ファンの見たいであろう姿を魅せてくれるのが大野智でしょ。

 

だから。

わたしの中では年末で、いちど終わる。

 

相変わらず智を好きでいても、その先は

多分継続した気持ちじゃないと思う。

 

先のことは考えられないと言った彼の言葉と

今やっとリンクしたかもしれない。

 

 

 

もし彼が再びこの場所に戻るなら

自ら欲したものであってほしい。

 

このご時世でやれなかったからとかじゃなく

なにかを届けたいとか

そうじゃなくても自分がやりたいとか

そういうものであって欲しい。

 

 

 

大野くん、

苦手なことに立ち向かう姿が

結果的に人の心を掴んだ。

 

アイドル業

キメ顔の苦手なあなたがたまに見せる

この世のものとは思えない美しい表情。

 

バラエティ

嫌々みたいに言ったけど、

その姿がひとに面白いと思われたのは

あなたにそのセンスがあったから。

 

その狭間に、きちんとレッスンを積んで。

求められている、歌声やダンスを

さらに確かなものにしたのは、

『好きだから』はもちろんだけど

グループのためでもあったはずだ。

 

だからもういいの。

大野くん、わたしはもういい。

 

 

自分は自分の尺度で、ときにおざなりになりながらもあなたを好きでいたのに、

あなたにだけずっと『嵐の大野智』を求めるなんてもうできない。

 

 

ね、どうか幸せになって。

人のためじゃない自分の幸せを。

さみしいけどそう思う。

 

心に何かが刺さったままで、いてほしくない。

 

そう思えるのは、

今までファンに嵐に、尽くしてくれたから。

 

 

 

読み返したら、なんて綺麗事なのだろうと思う。

 

同じような話を多分このブログとかツイートでも言ったかもしれない。

 

でも、12月半ばの、

これがいまの新しいわたしの気持ち。

(明日がどうかは知らねえわ)

 

 

 

12月の折り返しの日。

 

あと、2週間。

 

 

 

今がいちばん、大野くんが好き。

 

あなたを、嵐を。

見つけられたことが奇跡。

 

しんどいけど頑張るね。

クリスマスも大晦日も、

わたしの目玉はあなたに捧げるよ。