どうやらあれから一年経ったみたい、知らなかったけど。
今日は、嵐活動休止の会見から一年目だったらしい。Twitterで知った。
私は正直この日を意識していなくて、普通に日常を過ごしていた。
この日を意識はしていなかったけど、嵐の休止について考えなかった日は多分ない。(皆様そうであろう)
1年前。
怒涛の数日を過ごした記憶がある。
なかなか繋がらないFCページに何度もアクセスし、やっとメッセージ動画を見て泣き崩れた。
ミスターサンデーで会見を見て、智の表情に、涙に胸を痛めた。
二宮くんや翔ちゃんの援護射撃にあんた達マジで愛してると心から思った。
翌日仕事中にかかっていたテレビからStill...が流れて泣きながらあわててトイレに飛び込んだ。
zeroの翔ちゃんの「復活あります」に力強い光を見た。
会見の全文をプリントアウトし、重要と思われる箇所に線を引きまくり、マルをつけ彼らの心を理解しようとした。
なんの予感もなかった訳じゃなかった。
智の様子。顔つき。
いつかこんな日が来るんじゃないかってどこかで思っていた。
一年間、変わらぬ愛を、と思っていたけど、全く変わらぬはずなどない。
リミットがあると思うと、追うのに手を抜く事が出来なくなって、私生活を削りながらもひたすらに目に入れ耳で聴き咀嚼する毎日で、それは辛くもあり幸せでもあった。
うーん、私は何かを理解できたんだろうか。
はてブやべったーで休止への想いを色々色々書いてきたけど、公式からの言葉は以外は想像の域を出ず、だけどああだろうかこうだろうかと想像することは止められないし、ユラユラ揺れて答えのような所には未だ到達しない。
今は。
智が「自由」と言った中には。
「嵐をたたみ」というファンにとってものすごくショックな言葉を使ったのは。
自分が解放されたいのと同時に自分を含めた妙齢のメンバーたちをアイドルという枠から放つ意味もあったのではないかと思っている。
こう言うと、二宮くんが結婚したがっているのを察してそれを庇うように自分が全て被って悪者になった説を説いてる風に聞こえるかもしれないけど、決してそうじゃなくて。
恋愛はそれぞれがしていた筈だ(この年齢で童貞だったらそれこそ恐怖)し、スッパ抜かれたら別れたり隠したりとそういう人生をずっと送ってきて(多分な)。
だってアイドルだからさ。
具体的に誰がどうとかじゃなくて、人間としてそれは不自然だと思ったんじゃないかなぁって思うことがある。の。で、す。(言い切るのが怖いので語尾がおかしくなる)
こう言うと、じゃあ恋愛や結婚したいからアイドル辞めるってことですかー?と別の自分がツッコミを入れ始める(このような一人二役の話し合いが私の脳内で頻繁に開催されている)んだけど、バカそうじゃねぇよ、とまたツッコミ返す。
何を考えても想像でしかないんだけど、考えることはやめられないし、休まないで欲しいし休ませてあげたい。
矛盾するふたつの思考に挟まれてあっという間に一年経った。
私は自分の考えに対して賛同は要らないし反論はそれ以上に要らない。
ただこうして文にして吐き出す。
ならひとりスマホにメモ書きして満足してろよ、なんだけど、それじゃあほんとうに吐いた気はしない。
ということは、何だかんだ言って誰かに聞いて貰いたかったのかもしれないし、そうすることで自分の言葉に責任のようなものが生まれ、無責任に適当にって事にしないようにって意味もあるのかも。や、わかんね。まぁいっかそれは(適当にしてんじゃねぇかよ)。
復活ありますだし、智も休止中のビジュアルキープを誓ったし、いつか戻ることを支えにして一年かけて約束を取り付けたような気でいる。
ただ、戻ってきた時に、今の状態のアイドル像なのかはわからない。
見た目とかじゃなくて。
なんて言えばいいのか分からないけど。
後輩くんもデビューしてドーム枠も確約されないだろうしレギュラー枠だってわからない。
休止前になに休止後の話すんだって感じだけど。
その間担降りだなんだする人もいるだろうし、全員結婚するかもしれないし、このままの風速の嵐じゃないかも。
復帰した途端大野結婚してましたとか子どもかわいいとかそんな報告、想像するだけで吐き気するけど。
じゃあそうなったらお前嵐要らないの?と問われたら、自信を持ってNOと言う(そうじゃない現状だから言えるんだろ、とまた自分にツッコまれてますが)。
私は嵐のアーティスティックな面にも惚れていて、智に関しては言わずもがなだけど、彼らの重なった歌声や表現、翔ちゃんや二宮くんの書く詩や潤くんの演出、相葉さんのプロデュース能力も素晴らしいと思っていて、新たな作品が見たくてしょうがなくて。
実を言うとコンサートで過去のシングル曲が半数を占める構成は、勿体ないと思っていて(嫌ではないよ、誤解を生む発言だと思うけど)。
アルバムの、その1枚の世界を堪能するには邪魔だとすら感じる事があって。
だけど外周トロッコから煽られてのC&Rは最高に気持ちいいしファンサだって貰いたいしそういうのは嵐にはなくてはならないし、5×20ツアーの構成にはなんの文句もない(矛盾しすぎてほんとバカみたいだねー)。
話だいぶ逸れたけど、なのでアイドルって枷(枷?枠?)を外したとしても、まだまだ魅力があるんじゃないかって思ってる。
とはいえアイドルじゃない嵐なんて見たことないからこれも想像でしかないんだけど。
ごちゃごちゃ言ったけど、私がしたいのは「好きでい続ける」ということ。
その為ならショックを受けたとしても上手いこと解釈してその感情を捩じ伏せる。
そんな事までして.......と思われるかもしれない。思うまま、離れてもいんじゃない、人間だもの。とか。
でも私は嵐を好きでない自分が逆に怖い。
そんな自分をしらない。(生まれた時から嵐ファンという年齢じゃもちろんないけどw)
それに嵐からも愛してもらってるって思う。
(※楽天的な発想をするとお花畑とdisられるみたいなので世界怖ぇって思ってる。ほっとけよw花って綺麗じゃねぇかwそれが畑だぜwヤバいだろがw)
Twitterが過疎っても、過去映像への滾りを叫びたいけど、ここでも吐き散らかしたりし続けたい。
それを、今みたいな頻度で更新とかツイートとかしなくても、何かしら残すことで彼らへの私の愛を留めときたい。
待ってると言いたいの。
例え届かなくても。
自分にも待ってろって言いたい。
待てんだろ?好きなんだろ?
行けんのか?
キャー!!!!!みたいに
(やっぱアイドル像を求めてますわw)
明日はネトフリ第2弾。
いつでも見れるやつなのにもかかわらず少しでも早くみたくてちょっと早退することにした。
私の仕事的にはセーフだからそうするんだけど、ほんとに嵐まみれのリアルで笑っちゃうな。
明日のやつは、休止決めてのツアーリハ風景らしいけど。
また苦しくなるだろうと思うんだけど、リハの智ってマジ最高だから気持ちが落ち着いたらそういう目(私服やフリ入れのカッコ良さを堪能)でも見て楽しみたいなー。
とにかく、この一年、頑張って生きたな。
ただ、そう思った。
いつになくとりとめのないブログでした。